2011/05/25

福島県南相馬市へ

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2011年5月19日・20日で、福島県南相馬市のボランティアに参加してきた。

3月の下旬、友人から「南相馬へボランティアに行くんだけど...」
という誘いを一度断っていた。まだ自分自身、放射線に関する知識もなく、
第一原発から30km圏内に飛び込むのは、あまりに無謀に思えたからだ。

その友人はそれからも何度も福島に足を運んでおり
「福島県民はとても困っている」「応援が来たがらず支援が遅れている」
などの話を聞いていた。
そんな事もあり福島に行きたいという気持ちが大きくなっていった。


○放射線量の事前チェック
事前に福島県内の放射線量をチェックしていた。
南相馬は低かった。海側の地域は風の影響か低い所が多い。
それに比べ福島市、郡山市が高かったのは意外だった。
そんなふうに各地の線量が具体的に表示されてきたのも、行く動機につながった。
このサイトはよくチェックしていました。
「全国放射能情報 - NAVER」http://www.naver.jp/radiation/

現在のおおよその数値
東京:0.06マイクロシーベルト/毎時
南相馬:0.1~0.4マイクロシーベルト/毎時
福島:1.0マイクロシーベルト/毎時

また被爆については、積み重ねの累計で考えればいいと考えた。
東京に住んでいること。普段の生活ではほとんど屋内にいること。
そう考えると、例え福島県に数日行っても
国が定める安全値、年間1ミリシーベルトまで、
ずいぶん余裕あると考えた。
(内部被爆については、あまり考えられていなかったのが正直な所です)
それよりも南相馬ではみなさん普通に生活しているというのも大きかったです。
 
 
○ガイガーカウンター
今回、南相馬へ行くと言うと、
友人がガイガーカウンターを持たせてくれた。
東京近郊では数値にあまり変化がみられないため、
東北道の郡山付近から電源を入れ、数値を見ながら移動。
東北道では福島県に入っても0.1マイクロシーベルト/h程度の値が続く。
でも郡山を過ぎたあたりの一カ所で一瞬1.5マイクロシーベルト/hの値が出る箇所があった。
いわゆるホットスポットと呼ばれる所だったんだろう。
それでも1分ほど走るとすぐに再び0.1マイクロシーベルト/hまで下がる。

内陸部に移動、ところどころ数値があがる箇所がある。
やはり飯館村は数値が高い箇所がいくつかあった。
帰路で最高3.7マイクロシーベルト/hの所があった。
それでも3分も車で走るといきなり0.1マイクロシーベルト/hに下がったりする。
風向き・地形に大きく左右されるのを実感した。
こんだけ数値に違いがでるのであれば、詳細な線量を計測した地図が、
住民の安全、農作物への被害に対しても必要だと思った。
また数値が高い地域では、地表近くにカウンターを持って行くと
0.5マイクロシーベルト/h程度数値があがる。
南相馬など線量が低い箇所ではその反応はみられなかった。
 
 
○南相馬のボランティアセンターへ
朝4時に南相馬に到着、車で仮眠して朝を迎える。
友人は避難所になっている小学校へ、
避難している方にマッサージをやりにいく。
私は南相馬ボランティアセンターへ。

受付を済ましボランティア保険に加入し説明を聞く。
壁に本日の募集ボランティアが張り出されている。
職種は「瓦礫撤去」、「支援品仕分け」、「避難所の手伝い」、
「遺留品・写真の洗浄」、「託児所で子どもの世話」
などの業務が募集されていた。

自分の希望する業務にポストイットで印をつける。
僕が行った時にはすでに瓦礫撤去は一杯になっていた。
どうやら瓦礫撤去が一番人気らしい、
やはりボランティアといえば瓦礫撤去だし、ボランティアの花形だよ(笑)
なんてセリフも聞いた。ちょっと意外だった。

後からネットで見たのだが、
5/19(木)117人(県内44人・県外73人)
5/20(金)187人(県内67人・県外120人)
のボランティアが参加していたらしい。
 
 
○地元のボランティア
ということで、僕は市内のテクノアカデミーという学校の体育館で、
支援物資の仕分け作業に行くことになった。
最初体育館に入ったとき大量の物資を見て「こんなに余ってしまってるんだ・・・」
と思ったが思い違いだった。
ここにある物資は定期的に、地震津波で家を失ってしまった被災者、
または解雇などで生活に困っている方に配給される物資を、集め選別している。
配付期間になるとのべ1,000人位の方が訪れ、
ストックはどんどんはけていくとの事だった。

最初の日の午前中は、支援品のお米の仕分けの為に、
そこから近所の農家に向かった。
そこで30kg入りのお米を10kgづつに仕分けする。
そこの農家の方に話を聞く。普段は米を作っているらしいが、
今年は放射能の影響で作ることができないらしい。
それで時間が空いてしまったので、
彼自身もボランティアに参加されていると言っていた。
すごい事だと思った。
自分自身も被害者なのに一歩踏み込んで生きている。
何も将来は見えないのにやるべきことやっている。何も言えなかった。
そんな風に生きている人がいる。涙が出る。

体育館にもどって作業を続ける。
働いているボランティアは半分以上地元の人だ。
「地元のボランティアの人多いですね?」とたずねると
「仕事ないし、家で寝ててもしかたないからボランティアに来ている」と。
みんな同じだった。言葉がない。
 
 
○支援物資の仕分け
支援物資の仕分けには大変な労力がかかる。
なるべくなら同じ品物をひとつの梱包にするのが望ましい。
そして上面・側面(できれば全面)に内容物をわかりやすく記載する。
自分自身もここに来るまで考えもしなかったけど、
有効に早く物資を被災者に届けるには大切な事だ。

今回電池の仕分けも行った。
例えば単3電池が3本ばらで箱に入っていたりする。
もちろんパッケージから出しただけで使えるモノだとは思うが、
電池は裸の状態になった瞬間に使えるか使えないかの信憑性が薄くなる。
こんな送り方もあまり好ましくないと思った。
もし自分が電気屋に行って裸で売られている電池を買うか?
と考えた方が簡単かも知れない。

メーカーから送られてくる物資も片寄りがあるらしい。
例えば男性用衣類であればSS・XLなどが多い。
普通考えたらM・Lが多く必要のはず。
うがった見方だが在庫が余ったものを送ってきているのではと考えてしまう。

これは僕の個人的な考えだが、
自分がいらないモノは被災地の人もいらないと思った。
いらないモノを支援品として送ってはいけないと思った。
震災直後や、ニーズが合致している品物なら別だが、
同じ人間が生活していくので必要なモノは被災地も非被災地もかわらない。
それを贅沢とか言わないで欲しい。当然の事だと思う。
でも・・・こんな事を言って支援にブレーキがかかるのも好ましくないとも思う。
実際どんなものでも気持ちはありがたいという言葉は、みなさんいつも言っていました。

仕分けの班長に足りない物資がありますか?と訪ねたところ、
シャンプー・リンス・ハンドソープなど生活用品がいつも足りないとのこと。
下着類もいつも不足しているらしい。夏物の衣類も必要。
冬物の衣料もたくさん余ってしまっている。古着は好まれない。
でも状況はいつも変化するので市のホームページなどを参考にして欲しいと言っていた。
南相馬市役所 支援物資の受け入れ情報
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/shienbussi.jsp
 
 
○まとめ
南相馬市では、ボランティアが不足している日がまだあります。
ブログで募集人員が毎日発表されているので確認の上、
行ける方はぜひ。女性の方でもできる業務はたくさんありそうでした。
でも日によってはボランティアが余る時もあるようなので
事前の電話確認したほうが良いです。

南相馬市災害ボランティアセンターのブログ
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

南相馬市原町区災害ボランティアセンターのtwitter
http://twitter.com/#!/ms_svc

南相馬市災害ボランティアセンター公式ホームページ
http://minamisoma.jimdo.com/


現場に行って、けして多くはないけど現地の人の話を聞くことができたこと。
それが一番大きな事でした。

南相馬市、特に市街地は一見すると被災地とは思えないほど、
普通に見えるし、普通に生活しているように見えます。
でも放射能はまったく目に見えないし、
みなさんが職を失っているのも目に見えない。
でもそこには地震・津波・放射能・風評被害で苦しんでいる人々がいます。

福島の復興はまだまだ時間と力が必要だとあらためて思いました。
まだまだみんなで目を向け続けなければいけないと思いました。
 
 
 
2011/05/01

石巻の写真 2011.4.18

先日、ボランティアでお手伝いにうかがった宮城県石巻の写真を掲載します。
写真はほんとう一部の地域ですが、
とてつもない被害の大きさを感じます。

写真は2011年4月18日。
震災から一ヶ月たっていますが、
まだまだこんな状況です。


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丘の上から望む石巻沿岸部。本当に何もかも津波に流されている。


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沿岸部の瓦礫撤去はほとんど手つかずの感じ。


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北上川の中州。地震の前はここにも住居・お店などがたくさんあったらしい。写真にうつっている住居は、たぶん元からここにあったのでは無く、津波で流されてきたモノ。奥に見えるのは石ノ森章太郎の萬画館。


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上の写真の橋の左側の町並み。かき出された泥の土嚢、濡れて使えなくなった家財道具が、道に山積みになっている。沿岸部は一本はいると何処もこんな感じ。撤去作業が遅れている。


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高く積まれた土嚢。


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どうやってあそこに車が押し込まれたのか。想像もつかない。


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湿り気を帯びた廃棄物には白い粉のようなものが振られている。衛生対策だろう。


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奥に見えるのは自衛隊が設営した入浴施設


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中州、橋の上から。橋の海側には大量の瓦礫がたまっている。


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橋の上流側。たぶんこの車もどこからか流れてきたのだろう。


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この家も津波で流れてきたモノ。


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メインストリートはだいぶ片づいているが、どの店舗も一階部分は大きな被害を受けている。