2012/01/19

障がい者通所事業所「晴れる屋」へ

hareruya_logo.gif


火曜日、八王子にある障がい者通所事業所「晴れる屋」へ、
友人に連れていってもらい訪問した。

新年の餅つきと成人を祝う会が開かれるらしいとのことで
お手伝いに。

ここは友人のカズが以前定期的にお手伝いに来ていた施設で、
晴れる屋の代表の小林さんは私と同じくグレイトフルデッド好きで、
またハーレー乗りでもある。

このような施設では、成人した方を受け入れるところは少ないらしく、
そんな人達が学べて仕事をする環境を提供するために作られたとのこと。


午前中に晴れる屋に到着。

実は私自身、障がいをもった方々と接するのは初めてで、
最初はどうやってコミュニケーションとったらいいかわからず
ちょっと緊張気味だった。

そんな私にも晴れる屋のメンバーたちから
気さくに話しかけに来てくれる。

一緒に餅つきをしたり、一緒に盛り付けしたり・・・。
だんだん慣れてくると(私が)、
私の手をひいて音楽のかかってる部屋に連れていき、
一緒に踊ったり・・・。
逆にすっかり遊んでもらいました。

なんていうか感覚というか感性がすごく開いていて、
とてもシンプルに感じて、そして表現してるなと思った。

私たちの普段の生活では、
経験で考えて、物事をいつも同じ所に着地させたり、
このような人は嫌いだなーって最初から決めつけてみたり、
お金にならないなーとか、つまらなそうだなーとか、
やる前から下手な想像をしてみたり...。
たくさんの自分自身で作った束縛の中で思考してるなと。
そんなことを考えた。


っとあれこれ書いてみましたが、どうもまだ自分は、
彼らが違う世界の人間と思っているところがあるなー
と反省。

晴れる屋のHPの最初にこんな事が書いてありました。

=====

晴れる屋では障がいの有無に関わらず
「共に働き」ひとりの人間として同じ時間を過ごします。
そして「ひとりの人間」たちが集まって仲間をつくり、
共に生きていく「仲間づくりの場」でもあります。
自分たちが住んでいる地域に
「当り前に存在」し「当り前に生活する」場所として存在すること。
それが晴れる屋の目指すかたちです。


=====

そういうことですね。
私もあなたもひとりの人間として。

短い滞在時間でしたが、
とてもいい時間をすごさせて頂きました。


行ったことのある友人が
一度行くと「きっとまた行きたくなるよ」と言ってた意味も納得。
またぜひ!
 

>> 晴れる屋HP
>> 晴れる屋BLOG
 
 
2012/01/09

「復興ファンド」被災企業を応援するシステム

先日、NHKスペシャル「“震災失業”12万人の危機」という番組を見た。

震災によって職を奪われた人たちの現状を
石巻の仮設住宅に住んでいる方々へのアンケートを元に構成されている。
> 番組サイト

被災者のおかれた非常に厳しい雇用状況が伝えられていく。

実際の有効求人数の少なさ。
何十年も同じ仕事をしてきた人が、
選択肢が狭い中で、生活するため家族をささえるために
まったく違う職業を選ばなくてはならない難しさ。

一向に進まない状況が映しだされていく。


また事業再建のために借入を行うことによる
二重債務問題。

国が設立した産業復興機構により
借入期間を延長することにより
月々の返済を軽減する措置が取られているらしいが、
審査が厳しく岩手県では1000件の応募に対して
現在までに1件しか実現していないらしい。
形だけでまったく役に立たないシステムが報告されていた。


そんな中、民間で行われている
被災地の企業の復興を助ける新しい動きが紹介されていて
興味深かった。

それは「復興ファンド」と呼ばれ
被災地の企業が復興計画をネット上で公開。
それを見た人が、その企業のために
一口一万円から投資をしていく。

正確には、半分は寄付、半分を資金投資という形で
応援したい企業にお金が届くことになるらしい。

通常の義援金などと比べ、
使い道の用途が見えやすいのが特徴だ。

> セキュリテ被災地応援ファンド

この資金により再建していった
かまぼこ製造会社がレポートされていた。

被災地の復興・雇用回復に向け
とても有効な動きだと感じた。
個人的にも検討していきたい考えています。



2011/12/01

2011年11月 いわきへ

写真 (1)


11月26日と27日、福島県いわき市に行ってきた。
最後に東北に行ったのは8月なので約3ヶ月ぶりになる。

被災地の最近の状況を見ていろいろと現地で話を聞きたい
と思ったのが一番の目的だ。

同行の友人が以前からお世話になっている
いわきのお宅を拠点に今回は動いた。

一日目は紹介していただいた久之浜のボランティアチーム「結(ユイ)」を訪ね、
津波で浸水し取り壊しになる家屋の家財出しを手伝う。

どのような状況で引越しされたか分からないが
かなりの家財道具が残されたままになっている。
それこそ神棚に預金通帳・・・。
屋内から運び出し、
貴重品・燃えるモノ・不燃・瓶缶など仕分けするまでが今回の仕事だ。
メンツも多かったので意外と短時間で作業は終わった。

久之浜のボランティアチーム「結(ユイ)」。
頼もしい若者の集団だ。
まったくの有志が、
津波で被害にあった街をどうにかできないかと集まり、
継続的にボランティアで作業を行なっている。
神社の社務所を拠点に、寝泊まりしている人もいるらしい。
聞けばメンバーの中には自分たちも被災者である人も多いと言う。
例えば漁業に携わっていた人も(福島県内の漁業はいまでも操業を停止している)。

夜はお世話になっているお宅で食事会を開催していただいた。
久之浜のボランティアチームのメンバー、
千葉から来ている他のボランティアチームのメンバー、
私達、そして家族の方々。
たくさんの人達と福島のこと支援の事などいろいろな話を出きたのは
とても有意義だった。
そして何よりもいろいろな繋がりが生まれたことが嬉しい。

二日目はいわき市内の避難されてる方が多数暮らす
集合住宅のイベントのお手伝いを。
避難して生活している方々の自治会が発足したのを記念してのイベントらしい。
自治体ができることにより、単に結束を深める事ばかりでなく、
全体でまとめた意見や陳情を役所に提出・交渉する機能も持てるようになるとの事。

ゆっくりであるが被災地の状況は
少しずつだけど良い方向に変わってきていると思えた。

これからもボランティアという形態だけでなく、
いろいろな形で協力できる事を考えていきたいと思う。

2011/07/23

飯舘村の美しい山

2011年7月6日~8日。
再び福島県南相馬市へボランティアに行った。

作業終了後、東北道への帰り道、
飯舘村付近で道を間違えて山の峠道に入ってしまった。
道はどんどん細くなり道路は未舗装に。
後から地図を見たら県道の62号。
県道にしてはハードな峠道だ。

道路脇には、素晴らしく美しい沢がある。
釣りをするには最高の場所。

僕らは友人に借りたガイガーカウンターを持っていた。


南相馬市内はそんなに線量は高くない。
0.1~0.5マイクロシーベルト/時。

行く途中に通る飯舘村。
前回も計っていたので線量が多少高いのはわかっていた。
いつも通る県道12号経由だと、
最高で3.5マイクロシーベルト/時程度。


でもこの峠道は違っていた。
ガイガーカウンターの数値はどんどん上がっていった。
3 → 5 → 7 → 10・・・
最高で15マイクロシーベルト/時を表示していた。

車内のメンバーもそんな線量のところには行ったことが無く、
みんなちょっとづつ焦っていた。
・・・・
約1時間で線量の高い地区は抜けた。



決して武勇伝を話したいわけではない。

あんな美しい山が、沢が汚されてしまった。
人がこれから何十年も住むことができない土地を
作ってしまった。

それを強く実感した。

すべての木を切り倒して丸裸にしない限り
あんな山を除線できるわけがない。

見た目は何も変らないのに。
放射能が積もっている。汚された土地。

そんなの絶対におかしい。
なんて事をしてしまったんだろう。

すごくリアルに実感した出来事だった。


そして、そんな土地を追われ、
苦しい生活をしている人たちがたくさんいる。
そんな人達をなぜ助けることができないのか。

個人レベルでできることは
どんどん少なくなってきている気がする。

かと言って国や行政に対する文句ばかり言っていても
何も変らない。

みんなが考え続けないと、
福島だけが孤立してしまうように思える。
汚れたモノに蓋をするように・・・
福島だけに苦悩を押し付けるなんてことは
あってはならないと思う。
元を正せば東京の電気を発電していたんだし。


考えれば考えるほど胸が痛む。

まだまだ考え続けて、
いろいろと行動していきたい。
 
 
2011/05/25

福島県南相馬市へ

minami_souma.jpg


2011年5月19日・20日で、福島県南相馬市のボランティアに参加してきた。

3月の下旬、友人から「南相馬へボランティアに行くんだけど...」
という誘いを一度断っていた。まだ自分自身、放射線に関する知識もなく、
第一原発から30km圏内に飛び込むのは、あまりに無謀に思えたからだ。

その友人はそれからも何度も福島に足を運んでおり
「福島県民はとても困っている」「応援が来たがらず支援が遅れている」
などの話を聞いていた。
そんな事もあり福島に行きたいという気持ちが大きくなっていった。


○放射線量の事前チェック
事前に福島県内の放射線量をチェックしていた。
南相馬は低かった。海側の地域は風の影響か低い所が多い。
それに比べ福島市、郡山市が高かったのは意外だった。
そんなふうに各地の線量が具体的に表示されてきたのも、行く動機につながった。
このサイトはよくチェックしていました。
「全国放射能情報 - NAVER」http://www.naver.jp/radiation/

現在のおおよその数値
東京:0.06マイクロシーベルト/毎時
南相馬:0.1~0.4マイクロシーベルト/毎時
福島:1.0マイクロシーベルト/毎時

また被爆については、積み重ねの累計で考えればいいと考えた。
東京に住んでいること。普段の生活ではほとんど屋内にいること。
そう考えると、例え福島県に数日行っても
国が定める安全値、年間1ミリシーベルトまで、
ずいぶん余裕あると考えた。
(内部被爆については、あまり考えられていなかったのが正直な所です)
それよりも南相馬ではみなさん普通に生活しているというのも大きかったです。
 
 
○ガイガーカウンター
今回、南相馬へ行くと言うと、
友人がガイガーカウンターを持たせてくれた。
東京近郊では数値にあまり変化がみられないため、
東北道の郡山付近から電源を入れ、数値を見ながら移動。
東北道では福島県に入っても0.1マイクロシーベルト/h程度の値が続く。
でも郡山を過ぎたあたりの一カ所で一瞬1.5マイクロシーベルト/hの値が出る箇所があった。
いわゆるホットスポットと呼ばれる所だったんだろう。
それでも1分ほど走るとすぐに再び0.1マイクロシーベルト/hまで下がる。

内陸部に移動、ところどころ数値があがる箇所がある。
やはり飯館村は数値が高い箇所がいくつかあった。
帰路で最高3.7マイクロシーベルト/hの所があった。
それでも3分も車で走るといきなり0.1マイクロシーベルト/hに下がったりする。
風向き・地形に大きく左右されるのを実感した。
こんだけ数値に違いがでるのであれば、詳細な線量を計測した地図が、
住民の安全、農作物への被害に対しても必要だと思った。
また数値が高い地域では、地表近くにカウンターを持って行くと
0.5マイクロシーベルト/h程度数値があがる。
南相馬など線量が低い箇所ではその反応はみられなかった。
 
 
○南相馬のボランティアセンターへ
朝4時に南相馬に到着、車で仮眠して朝を迎える。
友人は避難所になっている小学校へ、
避難している方にマッサージをやりにいく。
私は南相馬ボランティアセンターへ。

受付を済ましボランティア保険に加入し説明を聞く。
壁に本日の募集ボランティアが張り出されている。
職種は「瓦礫撤去」、「支援品仕分け」、「避難所の手伝い」、
「遺留品・写真の洗浄」、「託児所で子どもの世話」
などの業務が募集されていた。

自分の希望する業務にポストイットで印をつける。
僕が行った時にはすでに瓦礫撤去は一杯になっていた。
どうやら瓦礫撤去が一番人気らしい、
やはりボランティアといえば瓦礫撤去だし、ボランティアの花形だよ(笑)
なんてセリフも聞いた。ちょっと意外だった。

後からネットで見たのだが、
5/19(木)117人(県内44人・県外73人)
5/20(金)187人(県内67人・県外120人)
のボランティアが参加していたらしい。
 
 
○地元のボランティア
ということで、僕は市内のテクノアカデミーという学校の体育館で、
支援物資の仕分け作業に行くことになった。
最初体育館に入ったとき大量の物資を見て「こんなに余ってしまってるんだ・・・」
と思ったが思い違いだった。
ここにある物資は定期的に、地震津波で家を失ってしまった被災者、
または解雇などで生活に困っている方に配給される物資を、集め選別している。
配付期間になるとのべ1,000人位の方が訪れ、
ストックはどんどんはけていくとの事だった。

最初の日の午前中は、支援品のお米の仕分けの為に、
そこから近所の農家に向かった。
そこで30kg入りのお米を10kgづつに仕分けする。
そこの農家の方に話を聞く。普段は米を作っているらしいが、
今年は放射能の影響で作ることができないらしい。
それで時間が空いてしまったので、
彼自身もボランティアに参加されていると言っていた。
すごい事だと思った。
自分自身も被害者なのに一歩踏み込んで生きている。
何も将来は見えないのにやるべきことやっている。何も言えなかった。
そんな風に生きている人がいる。涙が出る。

体育館にもどって作業を続ける。
働いているボランティアは半分以上地元の人だ。
「地元のボランティアの人多いですね?」とたずねると
「仕事ないし、家で寝ててもしかたないからボランティアに来ている」と。
みんな同じだった。言葉がない。
 
 
○支援物資の仕分け
支援物資の仕分けには大変な労力がかかる。
なるべくなら同じ品物をひとつの梱包にするのが望ましい。
そして上面・側面(できれば全面)に内容物をわかりやすく記載する。
自分自身もここに来るまで考えもしなかったけど、
有効に早く物資を被災者に届けるには大切な事だ。

今回電池の仕分けも行った。
例えば単3電池が3本ばらで箱に入っていたりする。
もちろんパッケージから出しただけで使えるモノだとは思うが、
電池は裸の状態になった瞬間に使えるか使えないかの信憑性が薄くなる。
こんな送り方もあまり好ましくないと思った。
もし自分が電気屋に行って裸で売られている電池を買うか?
と考えた方が簡単かも知れない。

メーカーから送られてくる物資も片寄りがあるらしい。
例えば男性用衣類であればSS・XLなどが多い。
普通考えたらM・Lが多く必要のはず。
うがった見方だが在庫が余ったものを送ってきているのではと考えてしまう。

これは僕の個人的な考えだが、
自分がいらないモノは被災地の人もいらないと思った。
いらないモノを支援品として送ってはいけないと思った。
震災直後や、ニーズが合致している品物なら別だが、
同じ人間が生活していくので必要なモノは被災地も非被災地もかわらない。
それを贅沢とか言わないで欲しい。当然の事だと思う。
でも・・・こんな事を言って支援にブレーキがかかるのも好ましくないとも思う。
実際どんなものでも気持ちはありがたいという言葉は、みなさんいつも言っていました。

仕分けの班長に足りない物資がありますか?と訪ねたところ、
シャンプー・リンス・ハンドソープなど生活用品がいつも足りないとのこと。
下着類もいつも不足しているらしい。夏物の衣類も必要。
冬物の衣料もたくさん余ってしまっている。古着は好まれない。
でも状況はいつも変化するので市のホームページなどを参考にして欲しいと言っていた。
南相馬市役所 支援物資の受け入れ情報
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/shienbussi.jsp
 
 
○まとめ
南相馬市では、ボランティアが不足している日がまだあります。
ブログで募集人員が毎日発表されているので確認の上、
行ける方はぜひ。女性の方でもできる業務はたくさんありそうでした。
でも日によってはボランティアが余る時もあるようなので
事前の電話確認したほうが良いです。

南相馬市災害ボランティアセンターのブログ
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

南相馬市原町区災害ボランティアセンターのtwitter
http://twitter.com/#!/ms_svc

南相馬市災害ボランティアセンター公式ホームページ
http://minamisoma.jimdo.com/


現場に行って、けして多くはないけど現地の人の話を聞くことができたこと。
それが一番大きな事でした。

南相馬市、特に市街地は一見すると被災地とは思えないほど、
普通に見えるし、普通に生活しているように見えます。
でも放射能はまったく目に見えないし、
みなさんが職を失っているのも目に見えない。
でもそこには地震・津波・放射能・風評被害で苦しんでいる人々がいます。

福島の復興はまだまだ時間と力が必要だとあらためて思いました。
まだまだみんなで目を向け続けなければいけないと思いました。
 
 
 
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